ブラタモリ、鹿児島県の奄美大島へ!奄美の宝の知られざる歴史をタモリさんが解き明かします。
タモリさんが田んぼで泥染めに挑戦!?ブラタモリ。#66奄美大島の知られざる歴史ブラタモリ。
#66奄美大島の知られざる歴史

 

 

ブラタモリ。#66奄美大島の知られざる歴史


大島紬のあの黒色の決め手は、泥の田んぼにひたす「泥染め」。

灰色の泥からあざやかな黒色が生まれたのはどういう歴史があったんでしょう。

奄美の人たちを救った、島のシンボル・ソテツとはなんのことなのでしょう?

タモリ大島紬の工房へ


島のシンボル・ソテツ感じで書くと・・・蘇鉄

なぜこの蘇鉄という漢字になったのか?

理由は?

布に染み込ませるの奄美大島に多く自生しているテーチ木

黒色の決め手は「泥染め」


泥の田んぼにひたす「泥染め」。

灰色の泥からあざやかな黒色が生まれるのは、南国ならではの土にヒミツがあった!

テーチ木から作った染料のタンニンが沼田の鉄分と結びついて黒くなる

沼の下にある土の鉄分は空気に触れずに錆びていない状態

そこにテーチ木から作った染料のタンニンが染みた布を沼田に浸すことで沼田の鉄分と結びついて黒くなるんですね

田んぼで泥染めに挑戦!

ソテツの葉を沼田に入れてくと鉄分が補充でき鉄を蘇らせるという意味で蘇鉄になったんですね-

黒糖づくりの現場へ


江戸時代、薩摩の支配下におかれた奄美では島のいたるところがサトウキビ畑になります。

日々の食料にも事欠く中で、奄美の人たちを救ったのは、島のシンボル・ソテツだった!

強制的に限りある土地にさとうきび畑と作らされ製糖を強制されていたんですね。

水田も薩摩藩にサトウキビ畑に変えられ米すら作れなくなった。

米は作れないいので年貢は米の代わりに黒糖!

そんな村人の食糧不足から救ったものとは?

段々畑をつくる事ができなかった場所で・・・蘇鉄よく生い茂る!

村人有毒の蘇鉄食べる!

村人は1950年頃でも蘇鉄のおかゆを食べていた。

島の人達は島にあるもので全て乗り切っていたんですね。

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